自分探しを終えていない人間は・・・【ユダヤの諺】
2016/06/08
今回はこちらのユダヤの諺をご紹介したいと思います。
昔よく「自分探しの旅」という言葉を使っていたなぁ・・・と懐かしく感じました。
そして、いい大人になって思うのは、「自分探しの旅をしている人間は、アブないな」ということ(笑)
(※思春期で自己葛藤している少年少女は例外です。揺れて当たり前ですし、成長のサインです!むしろ葛藤しない方が危ないと思います。)
自分という人格は、旅に出て探し回るものではなく、すでに今ここにきちんと在って、葛藤しながらでも認めて受け入れて向き合っていくものなんだと、今はつくづく思います。
しかし、そこに気づくまで逃げ続けていた私は、それはそれは自分がわかってない迷惑で孤独な人間だったんだなと反省しています。
自分探しと自己肯定感
自己肯定感は人生を成功に導くためには重要なキーワードだと言えると思います。
自己肯定感とは文字通り、自分の人格を肯定し受け入れているか?その度合いが高ければ高いほど「自己肯定感が高い人」などと表現され、自己肯定感が高い人ほど明るくプラス思考でストレスや葛藤が少ない。
反対に、自己肯定感が低いと、人生のあらゆる場面でつまずくような気がします。
なにかと物事がうまくいかない人や運が悪い人は高い割合で「自分で自分を受け入れていない」ことによるモノの見方や性格の歪みが原因でうまくいっていないような気がするのです。
うまくいかないのではなく「うまくいかせようとしていない」、運が悪いわけではなく「いいことが起こってもネガティブに捉えている」のではないかと思うのです。
ちなみに、この自己肯定感は幼少期の親の教育が大きく影響していくような気がしています。
幼少期、自分を認めてもらったり褒めてもらったりする経験よりも怒られたり否定されたりする経験が多すぎると、「自分は間違っているんだ」とか「自分の考えを親に受け入れてもらえない」と自己否定が始まり、「これでいいんだ」と自分を認めることができなくなるのかなと思います。
その結果、自分がわからなくなり、「自分探し」を始めるのだと考えます。
自分探しの旅は辛く、心が満たされることがないのでとても孤独です。
そして、悲しいことにその自分探しの旅に”発見というゴール”はなく”諦めとギブアップ”がゴールとなります。
諦めず、ギブアップしなかった場合どうなるか?
あとはご想像にお任せします・・・。
自分探しの旅を今すぐ終わらせる。
読んだ人を不安にさせるのがこのブログの目的ではありませんので、もし、まだ自分探しの旅をしている人がいたら今すぐ辞めて下さいといいたいのです。
”止めて止まるなら最初からしてない”でしょうし、自分の人生を他人からとやかく言われることでもないかもしれませんが・・・笑
冒頭でも述べましたが、自分という人格は、旅に出て探し回るものではなく、すでに今ここにきちんと在って、葛藤しながらでも認めて受け入れて向き合っていくものなんだということです。
自己肯定感が低いことがご両親のせいだとして、どんなに親のせいにしても親が自分の人生の責任を取ってくれるわけでもありません。
そんな親に生まれた自分を呪っても仕方ないし、自分の機嫌は自分でとるしかないのです。
自分の中にある弱い部分や嫌な部分・ダメな部分を受け入れ、一つの人格として融合させていくか?
もし、それを克服できないならできるまで自分と向き合ってください。
苦しくても絶対に向き合ってみる価値があります。
自分の機嫌は自分でとるしかないのです。
どんな道を歩いてきたとしても、とても貴重で他の誰にも経験できない唯一無二の経験をしてきたのだと自信を持ってみませんか?
そして、ここまで、たくさんの葛藤をしながらも、ここまで歩いてきた自分を単純に褒めてあげる。
そもそも、何をもって成功や失敗かもそれぞれなのだから、「これでいい」と自分が思えれば、それが成功なのだと思います。
自分を認めると、人も認められる。
自分の存在に感謝できると、人にも感謝できる。
そして、自然と周りにたくさんの人がいること、支えられていること、一人ではないことに気付くことができるようになると、自分は孤独ではないことに気が付くことができるようになると思います。
自分をどう捉えているか?は世界をどう眺めているか?だと思います。
あまり、うまくまとまっていませんが、以上。
ユダヤの諺からの考察でした。
ブログを読んで下さった方の幸運を応援しています。